自宅で血圧を測定しながらスマートフォンの健康アプリを確認する男性

疾患領域別動向 ― 禁煙・高血圧・不眠から精神神経領域まで

治療用アプリ・DTxの開発は、行動変容が治療効果に直結する疾患を中心に進んでいます。本ページでは、国内で先行する禁煙・高血圧・不眠の3領域に加え、糖尿病などの生活習慣病、うつ病・ADHDといった精神神経領域、がん・リハビリ等の周辺領域まで、疾患別の開発動向と市場性を報告します。

禁煙(ニコチン依存症)― 国内DTxの原点となった領域

ニコチン依存症は、日本の治療用アプリが最初に実用化された疾患領域です。禁煙治療では、ニコチンへの身体的依存は禁煙補助薬でカバーできる一方、「習慣としての喫煙」という心理的依存への継続的な介入が長年の課題でした。CureApp SCは、この心理的依存に対して認知行動療法ベースのガイダンスを毎日届けることで、標準治療の禁煙成功率を引き上げることを実証しました。

禁煙領域は対象患者が明確で、治療期間が標準化されており(禁煙外来は一連の治療プログラムとして設計されています)、治療効果も禁煙継続率という明快な指標で測定できます。この「介入・期間・評価指標の明確さ」が、治療用アプリの第一号領域として選ばれた背景と言えます。後発の開発企業にとっても、疾患選定の際に参考となるフレームです。

市場動向としては、加熱式たばこの普及や禁煙外来の実施医療機関数の変動が処方数に影響する構造にあります。また、2024年度診療報酬改定での評価体系の整理により、禁煙治療補助システムとしての位置づけが明確化されました。禁煙アプリの実績データは、DTx全体の医療経済性を検証する試金石として、支払側・臨床側双方から注視されています。

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高血圧 ― 患者数最大級の生活習慣病マーケット

高血圧症は国内の推計患者数が数千万人規模に達するとされる、生活習慣病の中でも最大級の疾患です。降圧薬による治療が広く普及している一方、減塩・運動・体重管理などの生活習慣修正は「指導はするが継続支援が難しい」領域であり、ここに治療用アプリの介入余地があります。

CureApp HTは、患者の生活パターンに応じた行動変容プログラムと家庭血圧のモニタリングを組み合わせ、臨床試験で降圧効果を示しました。薬を増やす前にアプリで生活習慣を改善するという治療選択肢は、薬剤有害事象の回避や医療費の観点からも意義があり、高血圧治療ガイドラインの改訂動向とあわせて医療現場での位置づけが議論されています。

事業面では、患者数の多さゆえに「処方が広がれば市場は大きいが、医療保険財政への影響も大きい」という二面性を持ちます。対象患者の絞り込み、治療効果の持続性データ、費用対効果評価への対応が、この領域で事業を拡大するための鍵となります。降圧という確立された評価指標があるため、後発品や海外製品との比較も含めた競争が今後想定されます。

学術面でも、高血圧診療のデジタル化は「デジタルハイパーテンション」と呼ばれる研究領域として確立しつつあり、家庭血圧・ウェアラブルデータを活用した診療研究が活発です。治療用アプリはその中核的な介入手段であり、学会レベルでの議論の蓄積が、診療現場での受容と適正使用のガイドライン整備を後押ししています。エビデンスと診療実装の両輪が揃いつつある点で、高血圧領域はDTxの成熟度が最も高い領域の一つです。

不眠障害 ― CBT-iアプリと薬物療法からの転換

不眠障害は、成人の相当数が睡眠に関する悩みを抱えるとされる有病率の高い疾患です。国際的な診療ガイドラインでは、睡眠薬に先立つ第一選択として不眠症に対する認知行動療法(CBT-i)が推奨されていますが、CBT-iを提供できる専門人材は限られており、「推奨されているのに受けられない治療」となっていました。この供給ギャップを埋める手段として、CBT-iをアプリで提供するデジタルセラピューティクスが世界的に開発されています。

国内ではサスメドのMed CBT-iが2023年に薬事承認を取得し、米国ではPear TherapeuticsのSomrystが先行していました。睡眠薬の長期使用や多剤併用への問題意識が高まるなか、薬に頼らない不眠治療の受け皿としての期待は大きい領域です。一方で、国内では保険適用が見送られた経緯があり、償還戦略の難しさも同時に示されました。

不眠領域は、ベンゾジアゼピン系薬剤の減量・適正化という医療政策の方向性と親和性が高く、選定療養などの提供スキームの整備が進めば、需要が顕在化しやすいと考えられます。睡眠関連ではウェルネス系サービスとの境界も近いため、医療機器としてのDTxと非医療のスリープテックの棲み分け・連携も事業設計上の論点です。

政策的な文脈も追い風です。高齢者への睡眠薬の長期処方や多剤併用は医療安全上の課題とされ、診療報酬でも減薬の取り組みが評価される方向にあります。CBT-iアプリは「薬を減らすための治療手段」として、この政策方向と合致します。また、CBT-iを実施できる専門家が国内で限られている供給制約を考えると、デジタルによる提供能力の拡張は、単なる代替ではなく医療アクセスの創出と位置づけられます。

糖尿病・生活習慣病 ― 大市場と治験の教訓

2型糖尿病は、食事・運動・服薬アドヒアランスという行動要素が血糖コントロールを左右するため、DTxの本命領域の一つと目されてきました。世界的にも糖尿病管理プログラムの開発事例は多く、国内でも複数社が治療用アプリや疾患管理プログラムの開発を進めています。

一方でこの領域は、治験の難しさを業界に知らしめた領域でもあります。国内スタートアップのSave Medicalが実施した2型糖尿病管理指導用アプリの治験では、主要評価項目を達成できず、開発方針の見直しを余儀なくされました。生活習慣病の治験は対照群でも標準治療や自己管理の改善が起こりやすく、アプリ群との差分を統計的に示すハードルが高いことが、この事例から広く認識されるようになりました。

それでも、糖尿病は重症化予防の医療経済的インパクトが極めて大きく、保険者・自治体の重症化予防事業やCGM(持続血糖測定)などのデバイス連携と組み合わせた開発が続いています。治験デザインの工夫についてはブログ記事「治療用アプリの治験はなぜ難しいのか」で詳しく考察しています。

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精神・神経領域 ― うつ病・ADHD・依存症の開発最前線

精神・神経領域は、世界のDTx開発パイプラインで最も層が厚い領域です。うつ病では、大塚製薬と米Click Therapeuticsが開発した治療補助アプリ「Rejoyn」が2024年に米FDAのクリアランスを取得し、成人の大うつ病性障害に対する処方型アプリとして展開されています。認知行動療法や感情認知トレーニングをスマートフォンで提供するアプローチは、通院間の治療空白を埋める手段として注目されています。

ADHDでは、米Akili Interactiveのゲーム型治療プログラム「EndeavorRx」が2020年にFDA認可を受け、「ゲームが処方される」事例として世界的な話題となりました。国内でも塩野義製薬が小児ADHDを対象とするデジタル治療プログラムの開発に取り組むなど、ゲーミフィケーションを活用した治療介入の研究が続いています。依存症領域では、アルコール依存症・減酒支援のアプリ開発が国内外で進行中です。

精神領域は、対面診療の供給不足が深刻で、スティグマ(受診への心理的障壁)によって未治療の患者が多いという構造的課題を抱えています。デジタルであれば受診の心理的ハードルを下げられる可能性があり、社会的意義と市場性が重なる領域です。ただし、症状評価が主観指標に依存しやすく、プラセボ効果が大きいことから、治験設計とエビデンスの質が競争力を分けます。

また、精神領域は職域メンタルヘルス市場との接続も見込めます。企業の健康経営やストレスチェック制度を入り口に、非医療のセルフケアアプリから医療機関での治療用アプリへとつなぐ導線が構想されており、保険診療と民間サービスを組み合わせたハイブリッドな事業展開が可能な領域です。医療機器としてのDTxと職域向けウェルビーイングサービスを両輪で展開する企業も現れています。

がん・リハビリ・その他領域への広がり

治療用アプリの適応拡大は、生活習慣病・精神領域にとどまりません。がん領域では、化学療法中の患者の症状モニタリングと支持療法を支援するアプリ、術後の回復支援プログラムなどが開発されています。患者報告アウトカム(PRO)をリアルタイムに収集して医療者へ伝えることで、有害事象への早期対応や生活の質(QOL)改善につなげる設計です。

リハビリテーション領域では、脳卒中後の機能回復訓練、慢性腰痛の運動療法、心疾患の心臓リハビリなどをデジタルで支援するプログラムが登場しています。ドイツのDiGA制度では腰痛・肥満・関節症など運動器・生活習慣関連のアプリが多数収載されており、日本の開発企業にとっても参考になる先行事例群です。さらに、婦人科領域(更年期症状・月経関連症状)や小児発達支援など、これまで医療の網からこぼれやすかった領域への展開も模索されています。

疾患領域別に見る国内DTxの成熟度イメージ(編集部整理)

禁煙(ニコチン依存症)承認・保険適用済み
高血圧承認・保険適用済み
不眠障害承認済み・償還は途上
うつ病・ADHD等の精神領域治験・開発が活発
糖尿病・その他生活習慣病開発中・治験再設計
がん・リハビリ等研究開発段階

※公開情報に基づく編集部の定性評価です。個別企業の開発状況を網羅するものではありません。

疾患領域の選定は、DTx事業の最初にして最大の意思決定です。有病率、行動変容の寄与度、評価指標の明確さ、既存治療の供給ギャップ、償還の見通しという5つの軸で評価することで、参入領域の優先順位づけが可能になります。次ページでは、どの領域であっても避けて通れない薬事承認プロセスを解説します。